藤野古白の俳句藤野古白
正岡子規以上の能力を持っていたとも言われている男が、子規の従弟である藤野古白。けれども、恋に破れてからおかしくなり、ついには拳銃自殺。子規は、「春や昔古白といへる男あり」と詠んでその死を惜しむ。

河合曽良の俳句河合曽良
「奥の細道」に随行し、もっとも有名な松尾芭蕉の弟子となった河合曽良。5歳年長の芭蕉は、その実直な性格を愛した。最後は、ようやく抜け出た貧困から筑紫に向かい、壱岐の地で客死。芭蕉の死から、およそ15年後のことである。

岩田涼菟の俳句岩田涼菟
伊勢派の重鎮である岩田涼菟は、近松門左衛門の「曾根崎心中」にも影響があったと言われる俳人。こころの赴くままに句を詠み、近所の桜を詠むつもりで出かけたところが、長崎に辿り着いたという逸話もある。

小杉一笑の俳句小杉一笑
松尾芭蕉が金沢にたどり着いた時、会うのを楽しみにしていた俳人は亡くなっていた。芭蕉に「塚も動け我泣声は秋の風」の句を手向けられた早世の俳人。辞世は「心から雪うつくしや西の雲」。

久保より江の俳句久保より江
猫の俳句で名を残す女流俳人は、夏目漱石の「吾輩は猫である」や泉鏡花の小説で取り上げられるなど、近代文学で特別な場所に立っていた。虚子も「有数なる作家」と評した俳人が今、忘れ去られようとしている。

神野忠知の俳句神野忠知
「白炭の忠知」として名を馳せた俳諧師は、切腹して果てたことが知られている。それは大きな話題になったと見え、勧善懲悪本の主人公にもなっている。辞世は「霜月やあるはなき身の影法師」。


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